市川籠店のこれまで
▼江戸時代より
代々、入谷村(現:東京都足立区入谷)にて豆腐屋を営み、裏で籠を編むことを生業とした。
▼初代
竹籠と竹笊作りを生業とした。特に笊作りを得意とし、浅草界隈の飲食店にも納めていた。
1890(明治23)年頃
千住三丁目(現:足立区北千住)に転居
1896(明治29)年
日本貨物鉄道「隅田川駅」開業
1900(明治33)年頃
浅草田中町(現:台東区日本堤)に移転
▼二代目
10代の頃から竹籠や竹笊作りを始める。
日露戦争に従軍後は籠や笊を製作する傍ら、荒物雑貨の仕入れ販売も行うようになった。
「角籠(かくかご)」の製造にも精力的で、良いものを作るために研究を続けた。
近県より二代目の指導を受けるべく、若者が集まってきたとのこと。
1904~1905(明治37~38)年
日露戦争
1911(明治44)年
吉原の大火により浅草田中町にあった店を焼失
近隣の豊島郡南千住町(現:荒川区南千住)に移転
1923(大正12)年
関東大震災で再び店を焼失する
▼三代目
戦後、避難先の千住末広町(現:足立区足立あたり)にて竹籠作りを再開。茶碗籠を製作する。
日本では一時期、竹籠が木箱とともに輸送包装の役割を担っていたが、1950〜60年代には段ボール箱に取って代られる。また同時期のプラスチック化により、竹籠の製造は減少する。
1970年頃より弊店も製造卸から仕入れ販売中心へと切り替えていくことになった。
1945(昭和20)年
空襲により、現在の南千住二丁目地域一帯が焼け、店舗焼失
終戦
1958(昭和33)年
二階建ての新家屋完成(現在の店舗建物)
1975(昭和50)年頃
「市川商店」へ屋号を改称
1947(昭和22)年平屋建ての頃 |
1958年完成の現在と同じ店舗建物 |
▼四代目
日本各地の編み組み品を仕入れ、卸売りと小売業を営む。
特に埼玉県東部や栃木県南部、茨城県西部、千葉県北西部の職人のもとへ足繁く通い、製作を依頼した籠を仕入れていた。
一方では、需要に応じて中国などアジアで作られた竹製品も扱った。
(この頃は国内製の竹製品が減ると同時に、アジアで大量に作られる安価な竹製品が多く流通していた。)
また、神社の祭祀用竹串や御神楽演奏で使用される竹製太鼓バチも製作する。
他に、作り手が製作した業務用笊の補強(竹笊を針金で補強する)も仕事とした。百貨店の催事にも出店し、通信販売の対応も始めた。
1982(昭和57)年
店を継ぐ
2005年頃
オンラインショップ事業の開始
1988(昭和63)年店の前で入荷した箕を検品する四代目 |
1988(昭和63)年店舗外観 |
▼当代
先代の急逝により、職種の異なる世界から歩み入り、店を引き継ぐ。
日本各地の産地や作り手を訪ね、交流を深めるとともに、それぞれの土地の風土や文化、そして手仕事品のよさに魅了される。また、店を継いだ翌年にはポーランドにて行われた「世界かご編み大会」に、作り手や通訳の方とともに参加。
他国の作り手との交流、編み組み品の取り扱いを始める。2019年の大会では、日本各地の伝統的な籠の展示や日本の編み組み品事情についてプレゼンテーションを行う。
現在は、国内だけでなく、国外の作り手の作品まで広く取り扱い、紹介・販売している。
2014年
「暮らしの竹かご屋 市川商店」と屋号を改称
2015年
屋号と同名のオンラインショップを開設
第4回 世界かご編み大会(ポーランド)に参加
2019年
第5回 世界かご編み大会(ポーランド)に参加
2020年
「暮らしのかご・ざる・み 市川籠店」へと屋号を改称
2021年
オンラインショップをリニューアル
※三代目までは三代目の手記を基に書き起こしたものです。